
90年代を象徴するハウス・ミュージック・レーベルとして名を馳せ続けているStrictly Rhythmの
設立20周年を迎えます。
Strictly Rhythmは、ハウス・クラシックスと呼ばれる数々の名曲を生み出している、
クラブシーンの
歴史に置いて欠かす事の出来ない、最も重要な音楽レーベルです。
20年間、ファッションやアートなどのストリートカルチャーにも多大な影響を与えており、
そして当時HIP HOPシーンで活躍していたアーティスト達を、
新たなダンスミュージックシーンへの刺客として、ハウスミュージックの世界へ
送り込んでいたレーベルでもあります。
そして、Apt. Internationalから、オフィシャル・ミックスCDも8月5日にリリースしました。
選曲&MIXをつとめるのは、我らがSTUDIO APARTMENTの森田昌典と、
HIP HOP界のカリスマDJ、King of Diggin'ことMURO。
リリースを記念して、今回の特集はStrictly 20年の歴史を振り返りつつ、
代表作のPV映像をご紹介します。是非、MIX CDと併せてお楽しみ下さい!
【HISTORY of STRICTLY RHYTHM】
ソウルといえば、モータウン。ブルースといえば、チェスレコーズ。ジャズといえば、ブルーノート。
ハウスといえば・・・Strictly Rhythm。
ハウスレーベルが現れては消えていく中で、Strictly Rhythmが完全無欠の存在であるとは言えないが、ハウスミュージックの発展にこれほどまでに影響を与えたレーベルは、Strictlyをおいてほかにない。Erick Morillo、Roger Sanchez、Armand Van Helden、Kenny Dope、Josh Wink・・・Strictlyは今日のハウスシーンのトップアーティスト達のキャリアをスタートさせた。
Strictlyがタクシー会社にならなかったのは、本当にラッキーだった。。。
そう、1989年にSpring Recordsが終わりを遂げたとき、経営者であったMark Finkelsteinは前妻と2人の子供の養育費用に25000ドル持っていた。賢明にも、彼はその金を車とラジオに費やし、個人タクシーを始めようとした。
Finkelsteinの同僚であり、スパニッシュハーレムの小汚いストリート出身の熱心なクラバーであるGladys Pizzaroは稼ぎの良い建設の仕事を離れ、受付としてSpring recordsに入った。その後は、ニューヨークのクラブシーンで生活してきた豊富な知識を元にラジオプロモーターとして働き始める。その時代にシカゴ、ニューヨーク、ニュージャージから広まった”house”や”garage”の虜となったGladysは、Finkelsteinの愛した70年代ディスコサウンドを髣髴とさせるサウンドに特化した自分たちのレーベルを立ち上げようとFinkelsteinを説得した。
そうして1989年5月1日、Finkelsteinが経営者、PizzaroがA&Rとして指揮をとり、Strictly Rhythmが生まれた。あの伝説的なロゴとともに。
Pizzaroはこう語る「僕にはストリートでの経験がある。そしてグラフィティは当時とてもポピュラーで、僕らがハウスをやっていたから、ハウスはストリートだと定義づけされたんだ。だからレーベルもそういう風にした。ストリートミュージック、ハウスミュージック、グラフィティ、、、そしてアーバンカルチャーをフィーチャーしたレーベルさ。」
FinkelsteinとPizzaroが作曲し、Finkelsteinがグラフィティのロゴを描いたTylonの「Feel The Rhythm of House」でレーベルのデビューを果たすも、はじめの数タイトルはヒットしなかった(しかし3枚目のSir Jamesの「Special」は、当時の調査では、ハウスシーンで最も多くサンプルされたレコードのひとつであった)。本当に衝撃を与えた最初のシングルは1990年にクラブで大ヒットした(Pizzaro曰く「Tony Humphriesが一晩で4回かけてくれたおかげだ」)Logicの「The Warning」だった。同年にUnderground Solutionの「Luv Dancin’」も後に続き、Roger SanchezによるこのデビューがディープハウスファンにStrictlyという名を深く刻み込むこととなった。
「そこからは雪だるま方式さ。」Gladyは言う。「ストリートカルチャーが広まって、Todd Terryのようなプロデューサーが僕に会いにきて、そしてLouie Vega、Kenny Dope、DJ Pierre等々どんどん出てきた。それくらい才能あふれた人がニューヨークにたくさんいたから、本当に楽だったよ。」
そこから2年間、Strictlyはクラブアンセムをリリースし続けた。Simon「My Family Depends On Me」、CLS「Can You Feel It in 」、Aly-Us「Follow Me」、Djaimin「Give You」、 Kenny DopeのUntouchables名義の「Take A Chance」やDJ Pierreの別名義Photon Inc「Generate Power」、Masters At WorkがHardriveとしてリリースした「Sindae」など、他の有能なプロデューサーが同時期にStrictlyでデビューを果たしている。
Strictlyは、Finkelsteinのビジネスにおける実直さと、Gladyのダンスミュージックに対する最高の耳との絶妙なコンビネーションを土台にして、ニューヨークのトップハウスレーベルという地位を確立した。今日までに次々とトラックが生みだされ、Strictlyは週に1度シングルをリリースするまでに至った。
「競合相手はみんな『あいつは正気を失っている。音楽業界から完全に足を洗うようだ』って言ってたよ。」Finkelsteinが振り返る。「でも全く逆だった。毎週金曜日にはマンハッタンのレコードショップの外に行列が出来ていて、僕らはレコードを売っていた。僕らは、DJのような、お金を稼ぐ為に音楽を買ってくれる人間が集まるファンクラブを持っていただけなんだけど、そのことにものすごく運命的なものを感じていたよ。当時はダウンロードもCDもなかった。アナログレコードしかなかったんだ。」
1994年、StrictlyはReel 2 RealのErick Morilloの出現で次のレベルに突入する。「I Like To Move It」が世界中でヒットとなり、Strictly Rhythmはメジャーとして世界の舞台で注目を浴びた。Reel 2 RealはU.Kで5位に入り、言うまでもなく、もっとも売れたアルバムとなった。
1994年はそれだけではない。Barbara Tuckerの「Beautiful People」、River Ocean feat. Indiaの「Love And Happiness」、Morel’s groovesの「Let’s Groove」などのクラシックスをリリース。Strictlyは明らかにノッていた。
95年、96年と引き続きハウスクラシックスをリリースし続け、Josh Wink「Higher State Of Consciousness」、Hardrive「Deep Inside」、Black Magic「Freedom」、Reel 2 Real「Jazz It Up」、Da Mongoloid「Spark Da Meth」などなど、カタログは増え続けた。
また、マイアミベースとハウスを融合させたPlanet Soulの「Set U Free」が本国アメリカで大成功を収めたのもこの時である。「イギリスでは15枚も売れてないんじゃないか」とFinkelsteinは笑う。「でもアメリカでは50万枚も売れたからね。逆にBarbara TuckerやUltra Nateは全然売れなかったけど。。」
レーベル自身も方向を変えていった。「我々はもはやハウスレーベルでもなければストリートレーベルでもない。」Gladyは言った。「我々はダンスレーベルだ。」
その後、ワーナーブラザーズと合併するのと同時にWamdue Projectの「King Of My Castle」がイギリス国内で初めてトップを獲得すると、アメリカ市場に向けにFragmaやVengaboys(Strictlyの国内サブレーベルであるGroovilicious Recordsと契約した)のようなヨーロッパのポップ/ダンスグループをライセンスし、商業的に大きな成功を収めた。
Pizzaroは「あの時期は我々が変化するのに最善の時期だった事は疑いようがない。」、「そして我々はその変化をとても誇りに思っている。メジャーがインディーズに興味を持っていたし、なによりもメジャーの仲間入りする事はマークの夢だったんだ。」と語っている。
この計画は結局失敗に終わったが、それから5年後、イギリスの名門レーベルDefectedのSimon Dunmoreの協力を得て、Strictlyは不死鳥のごとく再び生まれ変わった。Finkelsteinは語る。「私は裁判を戦い、会社を取り戻し、全ての権利を取り戻した。」「そしたらどうだ!アメリカのダンスシーンは衰退し、Strictlyがアメリカに拠点を置く事に意味がなくなってしまったんだ。それと、私はもはや最先端の音楽を理解できなくなっていたから、クリエイティブなディレクターが必要だった。だからSimonと私は共に手を組み、15年来の友人となった。Defectedから最初にリリースされた3枚はStrictlyからライセンスしたものだ。そしてそれはとても意味のあることだったと思う。」
世界中のハウスヘッズ達はこう言うだろう。たとえ今のStrictlyの良さが初期の頃から半減していたとしても、私達は今ものすごい波に直面するのだと。
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